
183系 特急「あやめ」
いまは大きく減ってしまった房総特急の一角を占めていたのが特急「あやめ」です。東京-鹿島神宮間を結んでいましたが、高速バスの発達で鹿島線も普通列車のみのローカル線になってしまいました。
いまは大きく減ってしまった房総特急の一角を占めていたのが特急「あやめ」です。東京-鹿島神宮間を結んでいましたが、高速バスの発達で鹿島線も普通列車のみのローカル線になってしまいました。
片上鉄道キハ303は元国鉄キハ41000形の車両で、前照灯位置が窓下2灯化されていましたが、原車の雰囲気をそのまま感じられる車両でした。
上野口の185系200番台です。新特急のイメージが強いですが、急行での運用もありました。
581系、583系を改造した715系は東北地区でも運用され、南は黒磯まで運用されていました。
1980年代後半でも、臨時列車などでは20系の運用が数多くありました。青森駅での20系寝台特急「日本海」です。
東急7200系が東急時代に最後に過ごしたのが目蒲線(多摩川線)と池上線です。オリジナルの赤帯なしと赤帯ありを比較してみましょう。
一畑電鉄(現一畑電車)では1980年代後半でも旧型電車が現役で活躍していました。その形式の一つがデハ20形です。2扉の堂々とした車両です。
1980年代の東横線の花形だった8090系の急行です。
初代餘部鉄橋は1912年に開通し、2010年まで使用されました。一部は残されているようですが、美しい初代の鉄橋を思い出します。
蒲原鉄道はもともと加茂-五泉間を結ぶ鉄道でしたが、訪問時は加茂‐村松間が廃止になり、村松-五泉間のみの短い路線になっていました。主力は2枚窓のモハ31/41です。