先週末より嵯峨野観光鉄道(嵯峨野トロッコ列車)が運転を再開したというニュースに接しましたので、その前身である山陰本線の保津峡駅を取り上げたいと思います。
当初は山陰本線の京都口も単線非電化の路線で、京都駅を出発して東海道本線から離れるカーブを過ぎ、丹波口、二条という駅を過ぎるころから京都市内にもかかわらず急激にローカル線の雰囲気が漂う路線でした。
保津峡駅(現:トロッコ保津峡駅)付近(嵯峨-馬堀間)が新線に切り替わり、現在の駅に移転されたのは1989年3月5日でした。その直前に訪れた際の保津峡駅です。
普通列車はほぼキハ47を中心とした気動車の列車で運転しており、4両や6両といった比較的長編成の列車が多く運転されていました。たまに、12系客車(近郊型改造車)を使用した客車列車もあったと記憶しています。
奥に見える緑の築堤が新線で、複線電化されます。